2017年 05月 15日
追悼:村上智彦先生。先生が残してくれたもの |
5/11に村上先生が亡くなったと、FBの先生の『村上智彦は彼らしく、逝きました』と知らされた時には、嘘でしょうと思いました。報道もまだされていない時にもちろん、去年からずっと闘病生活に入られいて、大変なのは聞いていたし、最新の「最強の地域医療」を読んで、退院されたのも知っていました。
もちろん、「血液がん」なので治療ですっかりと言うわけではないが、治療で克服も可能な病気になってきているので、またお元気になったら、きっといつかはまたお話できるかなと思っていたのですが、ふたたびお目にかかれることもなく、とても寂しいです。
村上先生の名前を知ったのは、NHKの番組「ある地域医療の“挫折” ~北海道せたな町 - 」(2006年 5月20日(土)放送)で、当時は東京に住んでいて、北海道の「瀬棚町」で地域の自治体とともにワクチン接種をすすめ、肺炎による入院を減らすなどでプライマリケアを実践していて、多くの患者さんに貢献していたことを思い出しました。
2007年に353億円もの巨額な赤字を抱えて破綻した夕張市に伴い、経営危機に陥った夕張市民病院の再生のために、乗り込まれました。
炭鉱の最盛時の1960年には人口10.7万人だったのが、当時は1.3万人まで減少、現在は1万人を切っています。
この夕張地域のために残すべき医療とそうでない医療を切り分け、100床以上あった病院から19床の診療所と介護施設にスケールダウンさせ、その分、訪問診療などに力を入れ、地域医療をきちんと実践されたことです。
多くの方と同様、実際に夕張にも足を運び、地域で診察するのをご一緒して、あちこち案内してくださったのがまだつい先日のように思い出されます。多くの医療人は、村上先生が北海道のために頑張っておられたのを知っています。
この10年は多くのことがありました、特に産科診療をめぐっては福島県の大野病院で一人で地域の産科診療に当たっていた産科医が帝王切開の患者さんが死亡したためにに業務上過失致死罪にて2006年2月に逮捕されたり(のちに無罪判決)、2006年8月に奈良県の町立大淀病院で出産中だった32歳の女性が脳出血の搬送をめぐって「救急車のたらい回し」のような報道がされたり(奈良県警の判断で刑事事件とはならず、民事事件でも棄却されました)など、とても驚くような事件が相次ぎました。
こういう「医療崩壊」とも言われるような過酷な医療現場が報道される中で、夕張市民病院の再建に当たった村上先生は最初の1年目は孤軍奮闘でしたが、その後多くの医師に支えられ、先生が始められた医療法人財団 「夕張希望の杜」は10年にわたり運営されていました(その後、村上先生は「ささえるクリニック」に移られましたが)。
ちょうど先日、HPを見ると、下記のようにありました。
■夕張希望の杜
http://kibounomori.jp/
平成29年3月31日をもちまして夕張市立診療所および介護老人保健施設夕張の指定管理を終了いたしました。10年の長きにわたり皆様に支えられましたこと、心から感謝申し上げます。
この10年で、医療を取り巻く状況は大きく変わりました。医療について医師に全てを任せるではなく、地域に住む人々が守らねば、病院は消えてしまうこと、そしてそのためには自分たちが健康を守るために禁煙したり、きちんと予防接種を受けることなど、これまで村上先生らが出版されいくつか出されている著作がとても参考になります。
病院はどんな地域でも提供ではなく、人口が減ったり利用者が減れば、デパートなどと同様に縮小せざるおえないこと、それを夕張は示してくれました。
というのは夕張市の高齢化率は2010年に43・8%が2015年には49・0%と日本が2060年の時代をほぼ先取りしていました。
<参考>
平成28年版高齢社会白書(概要版)
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2016/html/gaiyou/s1_1.html
平成72(2060)年には高齢化率は39.9%に達し、2.5人に1人が65歳以上。
平成72(2060)年には75歳以上人口が総人口の26.9%となり4人に1人が75歳以上。
今後、日本ではいたるところで、夕張市のように高齢者が増えていく。そして高齢者が必要とするのは救急車が出動するような心筋梗塞や脳梗塞のような急性期の医療ばかりではなく、誤嚥性肺炎や認知症など慢性疾患であったりします。高度な救急医療かそうでないものを仕分けを総合診療で仕分け、薬剤師や看護師によってチームを組んだ在宅医療によって看取りをするなど先進的なモデルを実践されたことがとても印象的でしたし、大都市を除くとこういったことがこの10年で広がり、まさに在宅医療ブームが広がりました。
面白いエピソードとしては村上先生は軍事オタクでした。詳しく戦闘機のこととかを直接聞くことはありませんでしたが、本当に詳しいようでした。その後も先生の講演を何度か聞きにも足を運んだのですが、そんな話はおくびにも出さず、いつも素敵な北海道の美しい景色や患者さんとのふれあいをどんどん紹介してくれました。そして夕張に行くとあちこち連れてってくれて美味しいお店を紹介してくれたり、見どころをしっかり教えてくれながら、地域に必要な医療について教えてくれました。
そして神様は、こんな彼に最後の試練として大変な病気を与えました。残念なことに最後の試練は乗り越えられなかったのですが、多くのことを教えてくれました。我々も一人一人が健康のためにできること、そういった言葉を改めて噛み締めながら、これから村上先生の残してくれた道を、我々は進むことができます。
by skyteam2007
| 2017-05-15 00:00
| 医療